はじめまして。はやおだよ。
なんだろう。
別に書くことはそんなにないはずなのに必要以上にパソコンに向かっている。
メルカリやなんらかのことを辞めると宣言して次の菌床を見つけたにすぎないのだろうか。
ぼくはやりすぎてしまう癖があってもはや自分の勢いで大事なものを壊してしまう、そんな行き過ぎた情動がある。
これだと思ったら過剰に時間や労力を投資する。まさに徹底的な思いの爆発。
これはモノに当たるのと変わりないのではないか?ふと思った。
そもそも、当たるとは言葉にできない理解の網からすり抜けてしまった想い、それをどうにか受容しようと怖がったり焦ったりして暴力に走ったり気持ちの不快さをことばにして発散すること。
僕は昔からものにあたることは多かった。人にあたることはなかったのはよかった。
しかし、物を壊したりいらいらした感情を爆発させて泣き叫ぶ。当時は心の底でこれ疲れるから本当はやりたくないんだけどなあ…と変なところで冷静に当たっている自分も居た。
そう。当たるとは非常に疲れる行動だ。わけのわからない怒りと不安に追われて誰も近づかないように、自分の身を全方位から来るそういうよくわからないモノたちから守るんだから感覚も体力も使う。
そんなことをしてまでもぼくは自分を理解しない世間に対しても、己の力不足さに対して文句があった。
なんで、こんなに生きづらいのさ、と。賢者タイムのときにそう思うわけです。
こんなことをしてこれから楽しいことなんておこるわけもないんだ。僕なんか消えちまえ!
そんな経験が積み重なるとやがてそれは癖になってきちゃうの。
とりあえず、腹立たしいことがあったらものにあたる。最悪、人にあたる。
そうやって、自分の積んできた純粋な徳だったり、生来の性格がひん曲がって目も当てられなくなる。他の人もそれを見るのがつらいし、当人もきつい。死んじゃいたいくらいきついんだから、これ以上掘り下げようもなく。
まあ、いまとなっては狭い世界だったな、と思うが同時に腹立たしいと思う。
人は失敗したり成功したりそれが自分自身にとっての転機になると、変わったことをしたくなる。それが僕の場合はブログ。人に見てもらいたい。褒められたい。大事なことは続けることなんだと自分に言い聞かせて不特定多数の人たちに自分の気持ちを赤裸々にさらす。
こんなに晴れ晴れしく変わったことはそうそうないだろう。
ひとつ、たった一つの変化だがぼくは非常にうれしくてそれを知り合いに伝えるにはぼくはとてもじゃないが傲慢だから、沈黙を守るしかないわけ。
だから、黙りながらキーボードで打っている。
それってつまり、物にあたることと同じで、パソコンにあたっているんだよな。
書くということで今のどうにもならない気持ちをドカンとぶっ壊す。
なんだっけな。シャットダウンじゃなくてリセットする感じ。
そう、リセット。気持ちのリセットをするためのきわめて不自然な行為が今回みたいなものにあたるってこと。
ようするに、ぼくの頭が悪いんだよな。それが腹立たしい。
どうすればいいとか、考えるわけなのだがそんなにホイホイ思いつくとは思えない。
癖になったものはなかなか治らないから、みんな不安になって病む。
僕の場合病んでしまって動けなくなるのが嫌いだから、その癖の嫌な面を受け入れることから始めている。
コンプレックス自体は嫌だけど、泣いて暴れたって治らないんだからしょうがない。究極いえば死んだってしょうがない。それだけあきらめきって、感覚的に慣れてしまえばまずは当たるという破壊行動を抑制できる。そこから好きなことに打ち込んだり、前々から興味のあることを掘り進めたり、今の自分に確実にプラスになることをやる。
そうすると、答えがぽんとわかる日が来る。そん時の一連の行動の何が良かったのか研究して、それがサイクルとして理論化されたら人生は楽に生きられる。
脳みその忘れるって行為はこういうことに活かされるべきだ。
人間は死すらも忘れる生き物なんですから。
ぼくは自分のそういう面すら時間をかけて変化を見ていくのは当たり前だと思っている。
今日の独り言終わり。すみませんでした。
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