再出発したからブログも再開しよう。となったわけ。

最近はめっきり深刻な状態に陥ることも減った。いや、問題そのもののレベルはいくらか前の自分に課せられていたものとほぼ同じであるから、ぼくがそれらを十分に許容できるシステムを自らの中から発掘したといったほうがいいな。


信頼できる大人たちに今再び感謝したい。


ダリ先生、丸尾先生、桜井先生、ヒカ先生、羽生先生、宮崎先生、平沢先生、西寺先生、ありがとうございました。


というわけで、はやおからダリに変身しました。わたしはネットでは大暴れできるから姿かたちも変形させていいということだ。こうして、つぶしてきたブログは数知れず。これもまた舞台崩しが起きてしまうのか。それはやだなあ。


肝心の内容なんですが、独り言兼日記のスタイルは変わらないのでとても退屈で意味不明かなと思いますが、どうぞ自由に鑑賞してください。


たぶん、今回は面白くないと思うので内容の面白さについては次回に持越しします。ごめんなさい。




まだまだだということだな。ぼくは足りないものが十分にあるんだ。頑張りながら流れよう。


最近、「矛盾言葉遊び」にはまってきた上の文章にも2つほど忍ばしてある。なんというか、世の中は1+1=1があり得るんだよな。捉え方と柔軟性によるけど。だから、あんまり威張れることじゃない。けど、隠すものでもない。なもんで、言葉に忍ばせることによって大きくゆるやかにその気持ちを再確認できるから重宝している。


ぼくはまだ、虫にも、植物にも、格段にすごいやつらからまったくなにも教わってもらってないから気とか運命とか初心者になるための試練を受けるための抽選用紙を書いただけの存在であるからしてあんまりにも身の程知らずなんだよな。その洗礼をこれから受けるかもしれないなあ。もうこういう予感っていうのははずれようもないし、逃げるだけ損をするから、しっかりそこへ向かい自分にできることをやっていきたい。結構怖がっているけど。


自分が調子に乗り尊大になりすぎないように努力しているがなかなかどうにも誇りとおごりの違いもよくわかってないからなあ。気にするだけこんがらがるんだからやめておこう。


で、今回なぜ書こうと思ったのかというとやっと、念願の「風水」の世界へのいざないが起こったのでぼくもスピリチュアル界隈にとうとう顔を突っ込んだみたいである。いざないって書いてあるけど要するにシンクロニシティが起こったのでぼくは進む道をまた見つけることができました。



そもそも、風水とはなんだろうとウィキで調べたところ、気の流れに関係する学問のようなおまじないのような熱心さとスナック感覚が混ざり合った百貨店のような魅力が感じられた。


百貨店なのだから当然人口も多く、世間ではかなり認知されているものらしい。ぼくは熱心な方に入るスナック愛食者だからどっちの方にも共感できたし、その明らかな違いも一目瞭然にわかってしまった。まず、本当の風水、ファッションの風水、があるなあと思った。推測だがおそらくはだいたいあっていることだと思うから書いていく。


本当の風水は気を操り自らに流れさすことを主軸に世の中の真理に触れんとせん熱意に燃える人たちが居る。その人たちこそ内より外に働きかける創造的な人種だと思う。こちらの風水は学問だということだ。


で、ファッション風水はひたすらに知識と前例だけで生きてきたような少し浅すぎる人が使うごまかしだと思う。特に自ら感じることのない気を利己的に集めようなどという冷蔵庫の冷気を暑いからだと言って解き放つぐらい無責任で浅はかな行動だと思う。
悪くはない。実際それで運が良くなって人生が一歩進めばとてもよいことじゃないか!
自分は悪く思うというよりその人間性のおおざっぱな造りにびっくりしている。
それでいいんかい!あんたは!って突っ込みたくなる。まあ、人それぞれですしぼくはファッション感覚では使わないかなあと思うな。
大勢の人間はここまでで風水の概要だけを知りすぎていく。むしろ、それがほとんどなのはしょうがないと思う。


まあ、ぼくもそうやって見下していてはいけないと思うけどさ。だって、自分が真剣にやっていて片や運とやらを集めるために玄関に黄色い物をとりあえず置いたりしている。慎重か抜本的か・・。うーむ、総合的には良きかな。



まあ、そんな感じで学問か趣味で更に切り分けることもできそうだというちゃらんぽらんな観測を終えておこう。


で、ぼくは当然のごとく学問としての風水に興味津々なわけで運気とはどういう概念で隣国では扱われているのかを知るいい機会が巡ってきたと少し踊りを披露してみたい気分でとりあえず集積した情報をアウトプットせんとしている。ぼくの我流の期の情報をもってしてどれだけ「復習」し、いかに「会得」しようかよだれが止まらない状況にある。


しかし、うれしい情報の追加とは裏腹にぼくの仕事は最高に面倒なことになるという予測から胃腸がきりきりまいである。いてえ。いてえ。だが、うれしい。。いてえ。。
こればっかりは今はどうしようもないしまだ苦しむのかと思うと絶望の崖に足をかけたくなる心持であるが、まだ耐えられそうなのでほっとく。


考えすぎても答えが出ないなら感覚に従えばええやない。これがぼくの答えだ。


風水だか何だか知らんが一つの答えを得るまではずーっと関わっているつもり。ぼくの問題の解決方法はそいつとどうやったら戦友になれるのか。その一つに限る。
人でもモノでもそいつに興味を持ってしまった以上、直面する課題として最初の精神的接触はどちらかが傷つくことから始まる。そこから時間をかけてお互いのブラックゾーンを埋めていき、、最後には誰も邪魔させない2人だけの愛の園ができるっちゅーわけや。ただし、性的な対象としてみるかは別の話であるけど。



まあ、そんなところでしょうがない事実が山ほどある。が、1つとして変化しない山はない。海でもいいけど。それに大きさは関係ない。どれだけ、機微を見られるかそして答えを出せるかがポイントであって、むやみに突っ込めば死は免れない。
なので、絶対無比の本能的感覚を「とりあえず」は信じている。まあ、これだからまだ募集用紙とか呼称しなきゃいかんのだけど!ま、それもしょーがないことに入っているからなあ。OMG.


オチも思いつかないので終わり!意味わからんけど続きそう。読みづらくてごめん!それではまた。