妄想爆発の日曜日は過労から始まる!

前回は見苦しい逆切れをお見せして申し訳ありませんでした。今回はいつも通り独り言です。


んなもんで、この下にめんどくさいことを羅列しています。ひとまず、面白いことは上に集めたのでそれ以外は見なくてもオッケーです。上の文章と下の文章の時系列は逆です。


疲れた。朝からこんなに書くとは思わんかった。


それで、こんなことをだらああっと書いている中で気づいたのが、自分の意見を肯定してさらに強化するより自分に反論をぶつけてより高みにいっていくほうが効率が良く鋭い視点を手に入れられるということ。コミュ力はまるで身につかないけど。これね、最近読んでいる[人間的自由の本質]っていう本を書いたシュリングって方も言ってました。あんまり知らない方なんだけど。


そういう現象のことを「技巧的なる螺旋道」とか言っていました。まあ、一つの意見を反論として相手にぶつけたり、それに対してさらに反論が来たりして、それにまた・・とかね。どんどん議論を重ねていくごとに上に上に話が洗練されていく。その様子がまるで職人たちがすごい技術をもってして話を溶接していくように見えたのかなと思う。


まあ、シュリングはそれを脳内でもやっていた。つまり、それが自分に反論をするっていう行為だったわけだ。それは、ぼくは「脳内ディベート」がしっくりくると思う。
ぼくも、妄想にその技法を多用していたからもうぼくの妄想の高度がすごいことになっているわけ。しかも、偏った情報しか得ていないからとんでもなく細くていびつな構造物なんで、他人が触れたらドドドドッド!!!って崩れ落ちるな。笑


まあ、そこらへんの脆弱さは書いたようにあくまで一人で完結した議論だから、他人に触れられるとすごく話のバランスを取れなくなってすっころぶのはしょうがないな・・。
まあ、そんなかんじ。現実のディベートは嫌いです。


面白い話終わり。以下駄文。。





突然だが、今朝は腹が激痛を訴えたんでびっくり飛び起きてしかも体も頭も最低な状態だったから不機嫌だ。それもね、結構前にもこんなことがあったこと思い出した。



もう辞めたけど、以前バイトをしていたのは県営プールの監視員をやってた。日常の中でやりたいことが見つからなさすぎて自問自答をする時間に鬱屈として、心を病んでしまってから莫大なストレスと疲労が噴出して、あの日の僕はバイトに行けず、道端にうずくまるほかなかったんだよなあ。んなの、無理だよ。嫌いなことやらされ続けりゃ人間壊れるよ。


職場の人間はどうみても普通の人間ばかりで特別いやな奴なんていないぐらい。働く環境も平凡でまともなところだった。


退屈だよね。ひたすら、プールに入っていく人を眺めたり、注意したり。
いや、大事な仕事でさ、必要不可欠な仕事って頭の中では理解している。
けどさ、粗探ししてさ、反発するしかないんだよな。要するに原因が全部おれにあるんだから。


ふー、めんどくさいよね。墓穴掘ったのも自分だし居場所をなくしたのも自分。だいたい、そういうことだなと思っていたよ。


それなら、その原因を見つければいいと思ってついに書くことができたんだけど、これはなんなんだろうか。


要は現実の自分がね、好きなことにのめりこめないのにそれ以外の仕事なんてのを毎日もやもやとした気持ちで行ってさ、そこでぐだぐだと惰性に仕事してミスの穴埋めなんてのにも一苦労して人間関係の些細なことが気になったりとだんだんとナーバスに陥ってそれでもひとまずは働かなくちゃいけないから、ってことで普通の人は文句垂れても会社に行けるんだけど、ぼくはその時点で体が拒否反応を起こして死んじゃうから身体が意地にでも止めに来るわけ。それが今朝起きた過労状態なわけで。


今回の発生原因も似たようなもんで、追い詰められていたわけだ。だって、外にも出られない、特にやることもない、お金もない、予定もなんにもない。それってすごくばかばかしいことじゃん。おれなんでこんなことしてんだろうって思うじゃない。
で、そういう精神を削って日々を無為に過ごさせる主人格の生活形態に疑問を呈して身体が自動的に過労状態にしやがったということ。もう、それも嫌だよね。何勝手に俺の体をいいようにしてやがるんだてめえって。笑


でもな、実際それでいいんだよな。
だって、そうやって面白さの角削るなんていまさらもう嫌だし、面白さを伸ばせる仕事をしたいに決まっている。だってそうじゃん。やりたくないことをさ、たとえ人生が他のことで満たされてその仕事にもやりがいを見出して立派に社会の一員になる。これが教本的人生であってみんなだまされているんだよな。


それはね、そのもともと在った虚妄な生活スタイルに生まれたての自分を無理やりに適応させてわざわざ不自由でしょうがない人格に作り換えちゃうんだからもう面白いことをやろうなんて自分から思わなくなる。そうなれば後の人生は消化試合だよ。ぼくはそう思って、個としての存在感を大事にしているが、これが合っているならば今の文明は堕落と崩落の一途をたどるんじゃないかと思っている。また、話が肥大化したが気にしない。


だって、要はまともに働かないってことは面白い楽しいことだけをして生きたいってことは社会の道理とか働き方とかを否定してそういう人間が作り上げたコロニーの概念をじわじわ破壊する悪者になっちゃうのが俺は憂いを持っているから、なかなかその道に傾倒せずにまだ社会と面白さを両立できないかなあと思って無駄にあがいているわけ。


だって、汗水たらさずに労働しないやつは本当に悪なの?っていうのが議論されているし、それでもそういうやつらも存在できる社会構造ができてしまった以上存在を認めざるを得ないから人々は混乱しているわけ。まあ、それでもその社会構造でのステータスをすごく大事にしている人たちはたくさん生き残っているんだなと。


でもさ、いまの社会構造って貧富の差が出るし、いままでは社会にすら居なかった弱い人間も科学文明と啓蒙によって割と快適に生きられるようになるだろうし、そういう今までは居なかった人間の創造性を尊重していくならば個人の価値は大幅に上がって集団組織で弱肉強食社会に放り込まれてこき使われるなんてありえない時代になっていくのは必然じゃないか。だって、今までは死んでいた弱い命が存在している社会なんて前代未聞じゃない。


俺にだってやろうと思えば面白さから命をはぐくむことだってできると思っている。ただ、今の社会構造に従うのは何となく嫌だからできないのよ。


で、それが人間を存続させることができるのかという大きなポイントでさ、新旧の概念を無視してただただ理想主義を押し付けるわからずやたちに命をはぐくむとか、人間を守っていくなんていう繊細なことは絶対にわかるわけないしあり得ないんだ。


それに気づいている人はいろんなところにいる訳で、まだそれは多発的に起こる時代にないからひっそりじわじわとそういう古い概念を食って成長しているんだなと。


要はね、いまのアリの巣社会をやめるということは人間が巣を出て行ってね、小規模なライオンの群れとして社会、世界、そして宇宙に進出する時代なんだよね。


ただそこで、弱肉強食社会で生産された富をね、新しい面白さを追求する人たちが横からかっさらって軋轢が生じていくのはとてもつまらないことでさ、それをどうにかできない面白い側も幼稚なわけだ。


だからね、弱肉強食社会の中での生産性を面白い側の人間が上回ることをすれば絶対にそんな軋轢は生じないしみんなこっちに流れてくる。その後のね、多少のトラブルみたいのは絶対にあるんだろうけどね、それは新しく出てくる世代が目にしてまた変革を考えていくと思うし、それに準じてぼくらも頭抱えたり反論したり付いて行ったりとかね、ぼくらもなんだかんだ人間が更新する準備を手伝うのは本能のようなもんだからあまり心配はしていない。


で、いまはそういう状況を望まれているわけだけどかなりボヤアッとしてるから定かな未来ではないけど。


とりあえずやることやって面白いもんを集めてみてなにか作ってみよう。
そういうわかりやすい感じではないけど本質はそんな感じでみんな努力しているはずだから、ぼくだけなにもしないのは違うんだよね。面白い人間ってなんなのかもっと勉強しなくちゃいかんし、面白くなりたいよ。


いまさらね、戦争とかパンデミックとか世界規模のテロだとかそんな古臭い物地球上で流行らせても今は面白くない。ま、今後そういうことは絶対なくならないからその処理がどうなるかで人類は成長できるだろうね。
なんで、こんなに神様みたいな視点なのか困ってしまうな。別に偉ぶってはないんだけれど。笑 無職は精神が尊大になりすぎるんだよね。


で、ぼくが今後、いや今この瞬間からできることは面白いことをすればいいわけだ。面白いことでなんでもやればいい。そうすれば面白くなれんじゃない?笑


だってさ、そういう実感だけで体と心と脳はだまされちゃうわけだし、とりあえず面白いことをやることで俺は生きているぞーって言えるんじゃないかな。


あと、元気も湧いてくると思う。ま、仮説だけど。実際はそういう気分にさせられているのわからないくらい何かに没頭したいところ。


まあ、まあ。これからだということですね。なんかいきいきしてきたな。ぼくはこういう妄想をしないと死んでしまう人間なんだな。ありがとうございました。